「神楽町教会の創世記」


 なにごとも最初が肝心である。どのような人によって、どのようにして開始されたか。それ以後の歴史は、これによってほぼ決定されるのではないだろうか。振り返って、わたしたちの教会の初期の二三の人物に光を当ててみたい。

 1.   教会が誕生するまで  デシェーザー宣教師のこと

 1942年4月18日、第二次世界大戦が始まって数ヶ月後、日本軍が各地で大いに戦果をあげていたとき、突然、米空軍ドーリトル部隊が日本の心臓部に侵入して、軍部の肝を冷やしたことがある。真珠湾の攻撃に報復する最初の日本本土の爆撃である。その部隊の一員が、デシェーザー軍曹であった。彼らの搭乗していた飛行機が、日本を縦断し、中国上空に達したとき、燃料切れになったので全員、落下傘で脱出した。しかし、落下したところが日本軍の統治下であったため、捕らえられ、捕虜になった。デシェーザー軍曹は、この時点では、クリスチャンではなく、日本人を憎んでやまない一アメリカ人にすぎなかった。しかし、同じ捕虜の中に敬虔なクリスチャンがいたことや、たまたま、差し入れられた聖書を読むことで、回心を経験することになったのである。イエス・キリストが自分を十字架につけて殺そうとしている者のために、「彼らを許してください」という祈りを神に捧げているのに強く感動したのである。この回心により、憎き日本人が愛すべき日本人になった。

 1945年、戦争が終わるや、軍曹は帰国し、聖書を学んで、1948年の暮れに宣教師として、来日。翌年、西宮市御茶家所町の福井氏(現大手前大学)の広大な邸宅の一部に住み、ここで、バイブル・クラスを始めた。敗戦直後の多くの日本人は、精神的支柱を失って虚脱状態にあり、生活も貧しかったこともあって、戦勝国で豊かなアメリカの宣教師が伝道しているところには、多くの人々が集まった。御茶家所町のバイブル・クラスとして始められた集会も例外でなかった。当初、デシェーザー宣教師の活動は、全国的に展開されていて、東京の街頭で伝道しているとき配布されたチラシによって、真珠湾攻撃の司令官であった淵田美津雄が回心し、クリスチャンになったということは、よく知られている。そういうこともあり、御茶家所町の集会は、主として、デシェーザー宣教師の夫人が責任を持っていた。しかし、二人が、2年ほどで、西宮を離れたため、集会は大阪丸山教会の「西宮伝道所」となり、同教会より、神学生が派遣されてくるようになった。しかも、集会の場所も他に求めなければならなくなり、 全国的な一時的で、異様ともいうべきキリスト教ブームが冷えてくるに従って、集会に集う人々が次第に少なくなった。

 ただ、教会がデシェーザー宣教師の働きに起源を持つということの意味は、小さくない。すなわち、イエス・キリストの「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という至難の教えと実践が教会の基礎となったことを意味するからである。

                  2021年12月1日  朝日新聞,夕刊




.   教会設立  オーバランド宣教師のこと

 1956年、文字通り、風前の灯となっていた伝道所に、日本自由メソヂスト教団は、オーバランド宣教師と加山久夫神学生を派遣した。当時、集会は、屋敷町の田中正二さんのお宅で開かれていた。オーバランド宣教師は、伝道熱心で、しかも、失われた一人の魂を、たとい彼が病気で天涯孤独であっても、いや、だからこそ、その魂のために祈り、つとめて訪問をする、そのようなタイプの宣教師であった。また、加山神学生は、よく、同宣教師を助けた。集会に集う者はいずれも貧しく、人数も10人そこそこであったが、同宣教師の赴任によって、大いに勢いを得て、阪神電車香枦園駅から西北3分の松下町に、83平方メートル(25坪)の土地を取得した。土地の広さは、教会用としては、恐らく、最小の面積であろうが、これによって、あちらこちらと、集会場を借用する苦労から解放されたのである。たまたま、その土地に小さい土蔵があったので、しばらく、これを改造して、「蔵の教会」として使用できた。

 オーバランド宣教師は、かつてのアメリカの厳格なピューリタンの伝統を受け継ぐクリスチャンで、禁酒禁煙は当然、日曜日の買い物すら避けるという徹底振りであった。けれども、抜群のユーモァの持ち主で、そのまわりには、いつも笑い声が絶えなかった。

 また、彼は、富めるアメリカ人としては、珍しい発想をするところがあり、こういうことがあった。その頃、甲子園浜の近くにあったアメリカ進駐軍のキャンプ(兵舎)が撤去されるという話しを聞き及び、その廃材を利用することを思いついたのである。日本がまだ貧しかった頃、教派を問わず、よくあったのは、教会堂建築に際して、宣教師がアメリカで募金をし、それによって、日本でどーんと、広い土地を取得、その上に会堂を建てることであった。この教会も、それをしてくれれば、わたしたちは、どれほど助かったか。しかし、それをしてくれなかったことによって、わたしたちは、自主独立ということを学んだ。オーバランド宣教師は、燃料にしかならないようなキャンプの廃材のため、関係方面と交渉して、払い下げてもらうことができた。その結果、日本の各地に廃材を利用して建てられた教会堂が生まれたのである。その数は、10数個になるだろうか。もちろん、わたしたちの教会はその第一号となった。

 廃材を利用するというのは、考えてみれば、極めて現代的で、エコに適い、さらに、福音的ではないだろうか。捨てられるべき罪人を救い、再生させるというのがイエス・キリストの福音であるから。

 1957年、教団によって、伝道所は「教会」として認可され、わたしたちはこの年を創立の年としている。なお、「日本自由メソヂスト西宮基督教会」としての法人の認可は2年後である。

3.  飛躍的な発展 岩本助成牧師の就任

 1958年、オーバランド宣教師が転任、岩本助成牧師が教会の初代の牧師として、就任した。彼の在任期間に、教会は、飛躍的な発展をとげた。同牧師は、現在も健在で、ジョン・ウエスレーの研究家として知られ、また、説教家としても、広く教派を超え、聖会などで用いられている。しかし、筆者には、若き日の同牧師の説教は、現在よりも激しかったという印象がある。声涙溢れるというけれど、溢れる涙を飛び散らしながらの熱弁で、老若を問わず、多くの人々を惹きつけた。それによって、それまで、平均12名であった礼拝出席者が、またたく間に、49名になった。それ以来、教会は、現在にいたるまで、人数の面では、上がり下がりを繰り返しつつ、あまり成長していない。

 岩本牧師の在任期間は、2年であった。いうまでもなく、ものごとには、二面ある。同牧師の残したもののうち、よかったのは二つ。一つは、敬虔な雰囲気。これは、教会として、大切にしなければならないものである。もう一つは、同牧師の薫陶を受けた大多数の者は、信仰は確かで、各地に移った後も、それぞれ、その地で忠実に教会生活に励んでいるということである。しかし、困ったこともある。容易に想像できるように、後任の牧師たちが説教で苦労させられるようになったということである。どんなに努力しても、同牧師のように聴衆を感激させる説教ができないから。

.   付録のように

 以上のようなペースで、歴史をたどっていくと、読者は、読むのに疲れるだろうし、筆者の本音としては、危険が、だんだん、わが身に迫ってくるような予感がするので、それ以後の主な出来事を年代表にしておく。

 1960年、岩本助成牧師に代わり、塚本章介牧師が赴任。在任期間は5年。親しみやすく、人情に篤く、労を厭わない、牧師として高く評価されるべき資質をもっていたが、あまりにも、前任者と対象的であったため、苦労したはず。しかし、その苦労のお陰で、後任の牧師、つまり、筆者がどれほど助けられたか。

 1965年、島田巌牧師が赴任。

1984年 教会名を「日本自由メソヂスト西宮基督教会」から「日本フリー

       メソジスト西宮キリスト教会」に改称。

 1991年 松下町の東、夙川より300メートル余りの神楽町に165平方メー

       トル(50坪)の土地を取得。

 1992年 同地の居宅を改修、仮会堂とし、松下町より移転。

 1995年 阪神・淡路大震災が発生。

 1998年 教会の東隣の土地144平方メートル(43坪余)を取得。

 2000年 教会の北隣と土地を交換。

 2001年 現会堂を建築。同時に、教会名を「日本フリーメソジスト神楽町

       教会」と改称。                 

 2007年 5月20日(日)教会創立50周年記念礼拝および感謝会、さら

       に記念誌を発行。            (文責 島田 巌)  
  





デシェザー夫妻による最初の受洗者達、  
蔵の教会 (1957年、昭和32年)
     
 
1963年(昭和38年)1月15日 西部教区青年連合修養会

             
、        

              蔵の教会での元旦礼拝

   
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                     2022年は教会創立65周年を迎えて記念誌を発行



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